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Showing posts from March, 2021

21-03 Semester 2 Week 11「講評会」

  火曜日に、 UCSIに入って初の講評会があった。 プレゼンは6グループ4人ずつで行われ、一人ずつ建築学科の先生がコメントしてくれる。 自分のグループは学科長だったが、やはりどの国でも一流の思考回路は均質で信頼できる。聞き取りやすいイギリス英語も相まって、教育のクオリティは以前の大学と変わりないと感じた。 どういうわけか自分のプレゼンは褒めてもらえた(良いと思っても粗探しをして学生のメンタルを傷つける、以前の大学にいた教授とは大違い)。 *** ただ情報をまとめたスライドでは、何を説明したいのか、今学期何をやってきたのかは伝わりにくい。 実際、グループ内でおしゃれなスライドを作っていた人は、内容に一貫性がないことを指摘されていた。 小綺麗な意匠を凝らしたスライドに時間をかけるより、聞き手にとってわかりやすく、的を得た内容のシンプルなスライドのほうが、プレゼンにおいては一定の評価が得られるのかもしれない。 先生からは特に何も指摘されなかったが、集中すると周りが見えにくくなる自分もそのことに意識を向けないといけない。 常に俯瞰的な視点を忘れず、何がその場では求められているのかを見定めていく必要がありそう。 Semester 2 Week 11「講評会」|A. Tomita

21-03 Semester2 Week10「報われない努力もある」というお話

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  『努力は自分を裏切らない』 これは小学校の体育の授業で聞いた言葉。 一見聞こえがよさそうなこの文句には大きな罠があり、特に真面目な人にとって大きな誤解を招く表現になり得る。 *** わきめもふらず、ただひたすらに努力をするだけでは、ある種の賭けをしているようなもの。 その努力の価値を限りなく高めるためには、その 方向性 を考えなければならない。 高校受験を例にすると、県立高校と私立高校の入試は問題の傾向が違えば、難易度にも大きな差がある。 県立高校は簡単な問題をいかにミスなく解き切るか、私立高校は高難度の問題でどれだけ部分点を獲得するかが大きな傾向(方向性)の違い。 この差を理解せずに県立受験予定者が一生懸命私立向けの勉強をしても、その努力が実る可能性は極めて低い。 ただ単に『努力は自分を裏切らない』という表面的な信条をもとに行動すると、大切な時間(寿命)と気力・体力が不必要に削られてしまう。 『方向性を考えない努力は平気で自分を裏切る』 悲観的ではあるが、こちらのほうがより現実を忠実にあらわし、私のような真面目な人が損をする可能性を十分に減らすことができると思う。 格言の前後、裏側にこそ物事の本質が隠されている。 適した土壌に種をまき、水をあげ続けることがよい収穫へとつながる。 しっかりと自分の進むべき方向を意識することが、努力を実りある結果へ昇華させるためには必要なことである。 Semester2 Week10「報われない努力もある」というお話|A. Tomita

21-03 「デザインとアートの違い」

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  日本の大学入学前にやりたいと思っていた建築は、 デザイン ではなく アート だった。 専門科目の初授業で「全てのデザインには理由がある」と教わったが、当時はその本質をつかめぬまま、ただその言葉をノートに書き留めた。 しかし、講義が進んでいくと設計の課題でエスキスの機会に巡り合い、自分がデザインとアートを混同していたことに気づいた。 *** そのエスキスで「なんでその形にしたの?」という教授のコメントを耳にした。 それ聞いたとき『その人が自分のセンスでそうしたいって言ってるから別によくね?』と、デザインに必ずしも理由は必要ないと思い、興ざめなコメントだと感じた。 *** しかし、それは間違っていた。 そもそも自分は デザイン と アート の違いがわかっていなかった。 端的に表現すると、 デザインは『問題解決』、アートは『自己表現』 例えば、 「十分な採光と通風のために大きな開口を設ける」というのは デザイン 。 「別れの寂しさを作品にして表現する」というのは アート 。 つまり、 デザイン は問題解決能力を求められる、ある種の工学的アプローチであるのに対し、 アート はコミュニケーションの一つであり、スキルがない人でもできる文学的なアプローチ。 だからこそ、問題解決を目標とする設計はデザインと訳され、自分勝手に好きな形を並べるのはおかしいのだと理解した。 参考記事 【留学日記】Semester2 Week9「デザインとアートの違い」|A. Tomita