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Showing posts from June, 2020

20-06 他人と比較すべきではないという話

どーも、おはこんばんにちようございます。イヤホンジャックがあるスマホに機種変したのにEarpodsが使えなくなってテンションガタ落ちのTommyです。 今週は、 「他人と比較すること」 についてお話をします。 まず、他人との比較において重要だと思うのは、 他人も 自分と同様人間であるため、 常に変わり続ける という点です。対照実験の考え方を応用すると、比較対象として最適なのはデータが不変である過去の情報[自分]だと思います。 言い換えれば、「人間である 他人は変数である (常にレベルが変動する)のに対し、 過去の自分は定数である (レベルが不変)」ということです。 「過去の自分と比較する」 という考え方をすれば、変えることのできない過去の自分と、無尽蔵に変革できる現在の自分とを比較することになるため、どのくらい成長したかが明確になります。 過去に作った作品やポートフォリオがあれば一目で成長を感じ取れて便利だと思います。そのためにも日々の記録が大事だと思い、noteを始めた所存でございます。 しかし、中には誰かと競走した方がモチベが保ちやすく成長できるという方もいらっしゃいます。それに対する批判はしません。蓼食う虫も好き好き?ということからも、人それぞれの最適解は異なるため75億人の人類全てに当てはまる解は存在しないからです。 ただし、誰かに追いつくことのみを目標としてしまうと、自分のためにやってきたという実績が得られないために達成後の活路が見出しにくくなり、到達点のアッパーが決まってしまうというのは事実だと思います。 個人的には、 他人と比較することは嫉妬や憎しみ、羨望といった負の産物を生み出し てしまい、ポジティブ思考をモットーとする自分の信念とは相容れません。 長期的な目線で見ると、 "誰かに追いつけるように” と一時的に努力するよりも、 "自分が目標とするレベルに向かってコツコツ努力する" という考えのほうが、最終的に到達できる場所は高いのではないかと考えます。 追伸 内容がいまいちパッとしない表面上の文章になってしまいました。    いつかこの話題について再び議論させていただきます。 それでは、ばいちゃ 他人と比較すべきではないという話|A. Tomita

20-06 思考メモVol.1[建築保護]

今回から始める「思考メモシリーズ」では、あまり考えがまとまっていない知識・思考の断片を今後のインスピレーションのために殴り書きする。 初回は建築保護について、、、 ・文化財やランドマークは、歴史上の「作品」として同じ姿・用途のまま保護されるのが良い。 ・時代の流行に乗って生き残るためには、形や用途の変化が求められる。 ・住居として使われていた日本家屋を古民家カフェとして再利用したり、使われなくなった教会を図書館に改装するのは良い例。 ・リノベーションは歴史を未来につないでいくための転換点となり得る。 ・それまでの歴史を一新して0から建築を作り直すのは、よほどの欠陥住宅か、公共建築やインフラ整備のための立ち退きでない限り即決するのはリスクが高いと思う。特に新品にこだわる必要がないのなら、先人の思いを尊重して再利用する方が文化や伝統を守るという意味でもプラスに働くと思う。 ・一般的な建築に象徴的な付加価値を求めた結果、時代の変化に適応できずに廃れて解体されてしまう建築も多いかもしれない。 ・ランドマークは歴史の一点として存在/保護されているが、その他大多数の建築は更地で会った期間も含め、歴史を今もなおずっと作り続けている生命体とも言えるかもしれない。 思考メモVol.1[建築保護]|A. Tomita

20-06 メリットデメリットの数は一対一だけど、その大きさは人によるという話

どーも、幼い頃レンコンとごぼうの違いがわからず、お弁当の歌の意味を誤解していたTommyです。 今回は、「メリットデメリットの数は常に?一対一存在するが、その大きさ(比重)は人それぞれ違うよ」ということについて述べていこうと思います。 自分は、物事を決めかねているときや大きな決断をするとき、そのメリット・デメリットを書き出して判断しているのですが、その際、メリットとデメリットの数がほぼ同じのときがよくあります。 そこで、もしかしたら 何においても損得の数は一対一で存在していて、その大きさ(重要度)だけが違うのではないか と思い始めました。 具体的には、「こっちをやった方がメリットが多いョ」とか「あれはデメリットしかないからやらない方がいいゼ」などの忠告は無意味なのではないかということです。 メリットデメリットは誰にとっても同じ数だけ存在するが、その人の価値観によって、「このメリットはとんでもない可能性を秘めている」だったり「このデメリットは自分のリスク許容度の域を超えている」など、、 自分にとって損得の比重がどちらに傾いているのかを熟考することが、より良い判断を生み出し、結果として成功する確率を上げることにつながるのではないかと思います。 また、この考えが根底にあると『 もし嫌なことが起きても、その裏には同じ数だけ良いことが隠されている 』といった前向きな発想が生まれることになり、うつ病の発症リスクも低減できるんじゃないかなぁ~と思います。 それでは、ばいちゃ メリットデメリットの数は一対一だけど、その大きさは人によるという話|A. Tomita

20-06① どうやったら幸せになれるのか

最近考えるようになったことに 「幸せとは何なのか」 があります。 「どうやったら幸せになれるのか」 という誰もが一度は考える疑問について現時点での自分の答えは、 「いま自分が幸せであること気づくこと」 つまり、 どんなに苦しい状況に立たされても自分は幸せ者であると思えるかどうか です。 かく言う自分も「幸せになりたい!」と思っていた時期がありましたが、金や権力、名声があっても不幸な人は不幸だということに気づき、 欲を満たすことだけが幸せになる方法ではない と思い始めました。 貧しい時代にも幸せな人はいたはずです。 戦時中の家庭でも笑顔でご飯をほお張る写真を見たことがあります。 なぜだと思いますか? それは、いい意味で 「あたりまえの基準が低いから」 です。 ご飯を1日一杯食べられるだけでも幸せ。 と思えると、いくら現状が厳しくても前を向くことができます。 現代人は情報過多により、昔よりも いま幸せである ことに気づきにくくなっているように思えます。 私は五体満足でかつ、感覚器官にも不自由なく生まれてこれました。 極論かもしれませんが、これだけで私は幸せです。 それでは、 ばいちゃ(*ノ>ᴗ<) どうやったら幸せになれるのか|A. Tomita