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23-01 人格の疎密を平坦にして、生きた“ヒト”になりたいという話

間があきすぎて文章力がなまってきたので口語(音声入力)で言語化してみる. 最近思うようになったのは、 『ひとりの大人として、ひとりの人間としての基盤をつくりたい。』 ということ。 幼稚園からずっと狭いコミュニティの中に身を置いて、それが普通だと思っていたけれど、留学したり、インターンシップで実際の職場を目の当たりにしたとき、自分に最も足りない・今現状足りていない能力は建築とか芸術という具体的な知識や経験などではないことに気付いた。 このリアルの社会を生きていくために必要不可欠な、具体的に言えば、目の前の人と正しく情報交換をしたり、お互いの気持ちをよくしようと振る舞ったりなどという対人関係から、自分一人で生活するために必要な家事だったり、健康を維持するための運動だったり、仕事で疲れたときに自分でそれを解消すべく、趣味に勤しんだり・・・超大局的な話ではあるけれど、そういう生命として、また一人の人間としてこの世に生きているという、もっとも根源的な何かが欠けている。 目次 二重人格? ヒト > アジア人 > 日本人 > 性格 時間と経験のずれ 中身の重要性 おまけ:2つの人格を繋ぐ 二重人格? もともと小学生になってすぐに、クラスの後ろの席に座っている人から嫌がらせのようなことを受けて、そのときくらいから家での自分と学校での自分が分かれていった。 家では可愛い子供としての自分。外では他人の目線や存在を常に意識していた。特に学校ではいじめられないように声を低くしてみたり、なるべく弱いところを見せないように家で見せるような自分の素顔は隠していた。 当時は“おとなしい”と言われることが良いことだとして、何を言われてもポーカーフェイスで口を開かないことが美徳であると考えていたかもしれない。 高校に入って周りに過去の自分を知る人がいなくなると、その主張の弱さ、言い換えればその強靭な環境適応能力が、一つであった元来の自分から抜け殻のように乖離し、生きているだけで温もりのない「対社会モード」として確立されていった。 *** ヒト > アジア人 > 日本人 > 性格 日本にいると考え方のスケールがとても小さくなり、いきなり性格や考え方の観点から人をグルーピングしたくなってしまう。マレーシアにいた時には少し違った感覚を覚えた。 そもそもマレーシアにいる人たちは人種から違う。最も最初の集合とし